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15年前に初めて税務調査を受けた時の経験。自己申告が前提?当時の業界の慣例も反映されたとても貴重な経験について解説。

2024年06月29日

はい、みなさんこんにちは。弊社は4月決算の6月納税なので今ちょうどようやく決算が組みあがりまして(先ほど決算書が届きました)、いまやまさに税理士さんに色々と説明をされながら今月末に控えている納税に向かっているところです。そもそものお話になりますが会社って個人と違いまして会社を作った時に「決算期」という月を設定しましてですね、要はそれなんですかって話なんですけど結局【納税】のための設定ですよ。個人の場合「確定申告」または「年末調整」じゃないですか。決算て要は会社の「確定申告」ですね。今回は久しぶりのコラム更新なのですが第21期の決算を記念しまして色々経験を踏まえた上で解説というほどではありませんが自分に起きたことを書いていこうと思います。

なんとなく沿革から

自分の場合なんですけど29歳で独立しました。そもそもこの業界にボクは大学卒業後の23歳の時に(一浪ですw)自分が当時やっていたバンド活動の資金稼ぎと生活費を稼ぐために、友達がやっていたので気軽に飛び込びました。当時はまだバブル景気の残火が残っていたように思います。その影響もありましてただただ単価だけは良かったです。それもあって建築以外の仕事にはほとんど興味がなかったです。今振り返ってみるとコンプライアンスは相当に緩かったと思いますし、そのためのガバナンスなんて全くと言っていいくらいに存在していなかったように思います。ここら辺の当時の話を並べていきますと面白くて面白くて終わらなくなってしまいますので、今回は税務調査の時の事と当時の業界の慣例などについてだけ行こうかと思っておりますので割愛させていただきます。

とにかく僕が独立した当初はですね、自分自身が経験7年でブランク1年くらいでしょうか?わずか6年程度の経験で独立しています。怖いもの知らずですよね。だいたいブランクってなんだよって話です。そうです、それ、つまり無職でプー太郎の期間ですよ。そんなクズ野郎の決定版のような29歳の若者が独立して【橋本組】を作ります。どのような道を歩んだかも割愛させていただきます。とにかく杉並税務署に開業届を提出してから2年足らずで廃業します。そして同時に宗方さんと言う司法書士さんにお願いして【有限会社橋本組】を設立します。ここから20年近くの長い長いストーリーが始まったような感じですねぇ。

税理士さんとの出会い

税務調査と言ったら、税理士さん抜きでは語れないと思います。個人事業の時から今に至るまでなのですが実は僕は【一人親方】っていう経験がありません。独立した時から一人社員がいましたし、その社員が紹介してくれたのが何を隠そう今の専務なので、現在に至るまで常にずっと複数です。橋本組って名前なのにソロってちょっと恥ずかしいかも知れないやってたびたび考えていたように思います。いやいや、下請けさんと共生していけばそれはやっぱり橋本組ですけどね。まぁとにかく独立した時からずっと誰かしら社員がいたので初めの年の年末が近づくにつれて【自分はバックレたとしても社員の税金ってどうなるんだろう】って本当に不安になって行きました。当時はインターネットもほとんど普及していなかったですからね。なんか簡単に調べようがなかったです。

そんなある日、当時杉並の高円寺に住んでいたのですが、税に関しては知らないことだらけで誰に相談していいかもわからずにいましたところ近所でよく買い物をしていた小町さんっていう八百屋とパン屋とコンビニのあいのこみたいなお店がありまして、そこのご主人とたまたまお会計の時に税金の話になったんです。

話になったというか何もわからないものだから「小町さん、税金ってどうしてますか?」って聞いてみたんです。そうしたら小町さんが「そうですよね、普通まったくわからないですよね、それならば近所に芝崎先生って言う税理士さんがいますよ。もし人を使っているのでしたら、とてもいい先生ですから一度行ってみるといいですよ。きっとお金はかからないですから」って丁寧に芝崎先生の事務所を教えてくれたんです。(歩いて数分でしたw)

数日後、覚悟を決めて芝崎税理士事務所を訪ねたのです。いやいやいや今でも思いますが先生は本当の人格者でした。結局、相談に行ったら色々指導していただいた上に最終的には確定申告書まで無料で作ってくれました。社員の年末調整や源泉徴収票やその他色々やってくれました。さすがに申し訳なくて報酬をお聞きしたら「いえいえ、それはいただきませんよ。大丈夫ですから」って優しく言ってくださったんですね。「このままでは芝崎先生に迷惑をかけっぱなしになってしまう。それではあまりに申し訳ない。なんとか一刻も早く法人化して先生に顧問料を正式に受け取ってもらおう」と真剣に考えるようになりました。

そんな流れがあったので独立からわずか1年10か月で個人事業の橋本組を廃業にしてそのまま法人成りさせました。これが「有限会社橋本組」の誕生です。顧問税理士は芝崎先生になって頂き、法人登記は芝崎先生のご紹介で宗方司法書士さん、行政書士さんはこれもまた芝崎先生のご紹介で田中先生と、何から何まで芝崎先生にご指導いただきました。本当にその節はお世話になりまして今でも思い出すたびに感謝しております。

仲間との出会いと取引きの開始、そして大胆に伸びた年商

さて満を持してと言うよりは納税の義務に流されるようにして法人成りした橋本組ですが、独立してからしばらくはボクが一定の付き合いのある会社から仕事を取ってきてこれを社員全員でこなして売り上げが立つと言うスキームで会社は運営されて行きました。もう本当に単純でしたけど比較的友達は多い方だったのでそこそこ自分自身仲の良い友達が社長をやっている会社の応援をこなす毎日でした。ですが仲が良い友達同士でやっているから自然と忙しい時期は足並みが揃って人手不足に陥ります。で、仕事が無い時も同じ。

特にボクの場合は調子に乗って国民生活金融公庫から融資を受けてトラックと機械を買って「さぁ機械を使う仕事を取りまくるぞ」と言う矢先にこのド暇なパターンだったのでスーパー困ってしまいました。なんせ借金して機械を買っているから返済が利子付けて毎月来ます。買った機械を稼働させてその金で返済するって計画ですもん。ですけど仕事が無いものは無い。そんなこんなで困っている時に誰に聞いたのか忘れてしまったんですけどたまたま畑があまり被っていない先輩と連絡を取り合うんですよ。この先輩が本当に良い先輩でこのタイミングで機械を使う仕事をその時期にたくさん持っていたんです。これがきっかけで行ったり来たりお付き合いが始まって(もちろん先輩の方で人が動けるときも多々ありましたので)お互いに売り上げを立てあいまして本当に月の売り上げのグラフを見ると利益率は一気に下がりますが売り上げはまさに「ルネッサンス」と言うべき覚醒、いきなり桁違いの急伸を遂げています。今度は外注費の建て替えで運転資金の資金繰りに困り果てる事になるのですが。その苦労話は割愛しますw

初めての億超え、川崎北税務署から初めての税務調査

ようやく本題に近づいてきました。今考えますと私事によるところが大きいのですが橋本組の住所は杉並税務署管轄エリアの高円寺から引っ越して世田谷税務署管轄の上馬に、さらに引っ越しまして駒澤大学、さらにさらに引っ越しまして川崎北税務署管轄の川崎市宮前区、と本店所在地が変遷するのですが。川崎にいたある日、芝崎先生から電話が来ました。「橋本さん、いま先ほど川崎北税務署の神崎さんと言う方から電話がありまして、税務調査に伺いたいとの事でした。お日にちは・・・云々」

ついに来た。うわさには聞いていたけど、これが税務調査か。顧問税理士がいれば大丈夫だと聞いていたけどどうなるのか全く分からない。自分自身、ちゃんと申告はしていて、もちろん芝崎先生が全部やってくれているわけだし変なことになるはずは無い。

まぁそう自分に言い聞かせはしましたけどやっぱりなんか気分のいいものではなくて本当に別に何か心当たりがあるわけでもなかったので芝崎先生には「自分、なにかやりましたかね?」と何回も聞いてしまった記憶があります。その問いに対しては「おそらく会社にして〇年経つし、何よりも年商が1億円超えたし、じゃあそろそろ見ておきましょうか、程度の事だと思います。別に何もないと思いますよ」とニュートラルな回答だったと記憶しています。そしてなんだかよく分からないまま、何もやりようがないまま調査の日をむかえたんです。

当日、朝から芝崎先生が川崎の事務所に来ました。ふたりで先ずはコーヒーを飲みながら作戦会議をしました。「いいですか、社長は自分からは何も話さないでください。何か調査官に質問されたら私の方を見てください。それだけでよいです」

開幕ベル

芝崎先生としばらく雑談をしているうちに、ついに玄関ドアのベルが鳴りました。「あ、来ましたね。いいですか」と芝崎先生が最後にボクに言ったのがとても印象的でした。「わかりました、先生」と答えて意を決したように玄関の扉を開きました。

「どうもこんにちは。お邪魔します。川崎北税務署の神崎と申します。初めまして、よろしくお願いいたします」

は?

ドアを開けるとそこには20代そこそこの女の子が一人でたっておりまして僕の顔を見ると、彼女は行儀よくペコリと頭を下げました。ちょっとイメージとあまりにも違っていたので非常に驚きました。まぁなんか僕の中で税務調査っていうのはですね、神経質そうなメガネのおっさんが2~3人でうちに来てなんか色々とまるで取り調べを受けまくるようなイメージでしたので(実は事前に芝崎先生からは、そういうのは【査察】であって【税務調査】というのはもっと和やかな空気感の中、調査官はひとりで進行していくと聞いていましたがw)この時ばかりは税務調査官に対しては大変失礼ですが、神様に感謝しました。

で、早速ですが彼女と名刺交換をした後すぐに事務所に入り、最初は橋本組がしている商売はどんな商売なのかから最近商売の状態はどうなのかなどの雑談からゆっくり始まっていったのです。芝崎先生から事前に【決して余計なことは話さないように】と言われていたのに、やはりずっと黙っているわけにも行かず、なんとなくどんどん会話が弾んでしまったようにも思います。まぁなんていうか基本的にトーク好きなんでw

質問に答えているというよりは雑談を続けている間にいつの間にか半日が経過しました。なんだかこんな感じで税務調査が何事もなく終わればいいんだよなぁと甘っちょろいことをこの時点では考えているうちに正午になった感じでした。なんとなく芝崎先生と一緒に彼女をお昼に誘ってみたのですが【それはコンプライアンス上できないことになっておりますので】と言って彼女は出ていきました。まぁ正直【なんだかよく分からないけど税務調査をする側も大変な仕事なんだなぁ】と思ったのをよく覚えています。

午後定刻に彼女は戻ってきましたのですが午後は打って変わって色々な書類や資料の提出を求められました。芝崎先生の話だと先ほどの昼休みで上司に状況を報告して【午後はこうやって行け】と支持をもらった様子だったとのことでした。今回は2日間の調査を予定していると聞いてはいましたが、考えてみればなかなか一人でたった二日間で会社の税金関係の間違いがないかすべて見るのは確かに難しい話ではあると思います。

そいつらは山で拾ってきたんです

ふと神崎さんが一件の工事に着目したようでした。代々木の印刷会社のビルの改修工事でした。その工事は色々な悪い条件が重なってしまい結局最後は人海戦術で切り抜けなければならないという状況に陥った大変な工事でした。【この工事に橋本組さんで従事した方のお名前は全員お分かりですか?】【はい、作業員名簿がすべて残っております】【連絡先はお判りでしょうか?】【はい、名簿にすべて記載されております。ただまぁ、今もその情報が有効かどうかはわかりかねます。2~3年も前の工事ですので】【そうですか。ではこの方たちの賃金はお支払い済みですか?明細はありますか?】【もちろん】【見せていただいてもよろしいでしょうか?】僕はこの工事の支払明細書を神崎さんに手渡した。【えっと、この方たちの所得税は源泉されなかったのですか?】いやいやいや。【そんな山で拾ってきた人間の源泉徴収なんてありませんよ。こいつらがめいめいに確定申告するわけでしょう?】【いえ、会社に源泉義務があります。橋本組さんが全員分を納税してください。そしてその名簿をたどってご自身で回収してください】【は???】・・・芝崎先生の方を見た。何も言わなかった。神崎さんはそうなったとたんにその工事関係の資料を洗いざらい全て抽出し始めたのです。正直びっくりしました。【こいつら山で拾ってきた人間みたいなもんですよ、なのにどうして源泉義務とか言って、まったく意味が分かりませんけど?】と言ってみたんですが芝崎先生に制止されました。【まぁまぁまぁ、神崎さんは調査に来ていますので。ここはしっかりと調べていただきましょう、別にこちらにはやましいことはありません。間違っていたなら修正するまでですよ】・・・確かに。

わかりやすく言えばこの名簿の人たちって当時、早朝に車で高田馬場エリアに行くと(今はどうかわかりませんが)その日のうちに現金が欲しい人が何人も建設現場行きの車を待っているわけですよ。先ず半分現金で渡して車に乗せる。で、必要な人数が集まるか時間になったら建設現場に向けて出発する。残り半分の金は帰りに渡す。とにかくそうやって連れてきた人を「山で拾ってきた連中」って言うんですがこの【ヤマ】って山谷(さんや)って意味らしいんですが、要はそんな感じで連れてきた人たちなんですよ。賃金を渡したら一応明細とかにサインはさせるんで彼らの賃金は「外注費」で処理していたんです。消費税込みの単価って事ですね。そこって人件費なのか外注費なのかってところの話なんですよね。

芝崎先生が後に説明してくれたんですが結局とどのつまりは【ここでやりあうと、後々に色々と社員の方まで突っ込まれて厚生年金や社会保険はどうなっているのかと来られると、かなり厄介な事になりますし、そこをみなし従業員だとされて消費税を否認されますと会社がなくなってしまうくらいの消費税を課税されてしまいます。ここは今これで手を打ってしまう方が得策です】との事でした。※この当時、未だ年金は義務化されていませんでした。

幕引

結局、神崎さんはウチから大量の資料を持ち帰り税務調査は終了しました。本当に大変だったですし神経をすり減らしましたねぇ。芝崎先生にも助けていただきまして(ちなみに当然、調査立ち合いと修正申告書の作成は顧問料とは別腹で費用が掛かります)本当に感謝感謝です。当然ですが税務調査には顧問税理士さんの立ち合いはマストです!

それから神崎さんから資料が戻って来て、後は全て芝崎先生と神崎さんとのやり取りで完結しました。最終的に【ここは源泉所得税の源泉をやっていなかっただけ、もうここで手を打っちゃいましょう、そうすれば終わりですから】って芝崎先生のお話でしたので、粛々と修正申告書の押印、提出と追徴された税金を納税するだけです。その金額が超重要なのですがね。実は個人的に時間を使って税務署からもらった所得税の税額表を使って全ての漏れていた所得税を細かく拾ってみて計算していたんですけど、軽く30万円くらいは来てしまう計算でした。正直それだけの臨時出費はかなり苦しいと思っていました。

そしていよいよ幕引きです。最終的に芝崎先生が作成してくれた納付書が届きました。届いた納付書をおそるおそる見て、悶絶しました。200万オーバー!!!!!!!

修正申告のペナルティ倍率が掛かった源泉所得税、修正納付までの期間全ての延滞利子税、その他諸々のナントカ税、ナントカ税、ナントカ税、シメて200数万円也!

いやもう本当に人生でトップ3に入るくらい驚きました。たまたま車を買うつもりでよけてあった資金があったので日産のディーラーさんに正直に話してゴメンナサイすることによって切り抜けましたが。とんでもない顛末となってしまいました。

そして今

最後になりますが、税金ってこの国で商売させてもらってるショバ(場所)代だと思うんですよね。結局は企業目的って社会貢献と言うところに回帰していくのってこう言うことだよなぁって今も思いますよ。社会貢献のための富こそがすなわち【仁義道徳を踏まえた上での富】かなって、思い知りました。勉強になりましたし今も勉強中だと思います。次の紙幣の肖像になった偉人の言葉を改めてかみしめます。今更ながらに再度、心から同意します。

「すべての富の根源とは、すなわち仁義道徳。仁義道徳を踏まえた上での富でなければ、これは永続しない」渋沢栄一

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