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世にも絶妙な物語 第四話

2023年07月03日

見渡す限りでは周囲に人影は御座いませぬ。しかしながら感じているこの世ならぬ禍々しき気配。反射的に抜いて己の気配を殺し、気の流れに全神経を集中させて次の瞬間に動くもの全てに反応できるよう神経を尖らせながら時のせせらぎの中に深く身を落とします。己の剣の切先がゆらゆらと動く以外に辺りに動く物は一切ございませぬ。勿論、動くのは目に見える物だけではございませぬ。遠くから微かに流れて来た香りは、紛う事なくヂャスミン(茉莉花)。「彼女は斬りたくない」その瞬間的に巡らせている思考の先に、はた。と気付きます。いつの間にか眼前に短髪で白髪の、初老の男性が洋装背広姿で物言わず無表情に佇んでおります事に。

二体の御稲荷様を背にして剣を抜いて構えているそれがしの正面に、四列並んで設置してあります長椅子の一番奥の椅子。そのさらに奥にいつの間にか佇んでおりました彼からは、まさにこの世ならぬ気配が漂っておるので御座います。ふと、それがしは無表情で比較的整った顔立ちの清潔な洋装背広の彼の胸に「徽章」がつけられておる事に気付きました。それは二重の円の中に帝国の国花である「桜」があしらわれたもので御座います。つまり二重の円は、外側の円が帝国の「日」を示しており、日とともに進行していくという意味が込められています。章意はつまり年貢の公正は彼ら組織の手で、桜花は大蔵省すなわち年貢を表す、日輪は彼らの組織と公正を表す。と言う事でございますれば「なぜ幕府年貢納めの適正な指導をする組織に所属の者が、ここでそれがしに対して唯ならぬ殺気を放つのか」皆目見当がつきません。

「松崎、試験管は細身を三本で良いです」

誰に話し掛けているのか全く分かりませんが初老の男がとてもハッキリとした声で宙空に向かって言い放ちました。周囲に乱波(忍者)が伏せておるのでしょうか。「ひとりでは無いのか、しかし三人迄であれば問題は無い」父上より譲り受けました刀身に「菊」と一文字だけ刻印して御座いますそれがしの刀と、幼少の頃より我が身を護りし北辰一刀流剣術があれば、つまりそれがしが斬られる事は絶対に御座いませぬ。否、その経験と自信が御座いました故に木刀の試合も真剣の試合も決着は同じく死を意味するのでは御座いますが、それがしは木刀の試合よりも真剣の試合の方を心の奥底では好んでいたように思います。それは人を斬る事云々では無く、道場師範代を三十八年も勤め藩では最年少で道場師範に任命された父上の剣を以てすればそれがしは斬られる事は無しと確信しておりました事に他ならないと存じます。

次の瞬間、ヂャスミン(茉莉花)の香りが急激に強くなり同時に耳を劈く怪鳥の如き奇声が周囲に響き渡りました。それは奇声で御座いますが確実に女性の甲高い種類の物。「チェイ、チエイ!チェストオオオオオ!」ガツ、ガチンと重い音が二度。それがしの左方やや上空から突然現れた洋装の女性から繰り出されました刃を二度払います。初撃を受け流す事こそ即ち北辰一刀流の極意。「オメエエエエエエン!(お面、上段打ち)オツキイイイィィ!(突き)」直後の気合いは即ちそれがしの声。カッ。と真剣同士がぶつかる鈍い音。左手の御稲荷様のやや裏手上方より突如斬りかかってきた人物は残念ながら予想通り、先程大鳥居付近にてお声掛け頂きましたヂャスミンの香りに包まれました洋装の美女で御座いました。

奇声と共に繰り出された目にも止まらぬ撃ち込みを躱し、面打ちを撃ち込みましたが払われて、その滑った切先にて連撃の突きを入れましたが掠めた程度でそれも全て躱されてしまいました。周囲はもうヂャスミンの香り意外何もせぬほどになっております。心の臓まであと僅かでしたが、彼女のIDカードだけが斬れて石張りの床に落ちました。その名札の表示は「高梨会計 池田絢香」と読むことができました。やはり年貢か。しかし何故?そのIDカードが床に落ちた刹那、彼女はこの剣戟の中、未だに微動だにせず中空を凝視し続けている初老の洋装背広に一瞬だけ、目をやりました。隙有り。逃しませぬ。

「キェエィイオ、メエエエエン!(面、上段)」美女の蒼白な顔面と真紅の唇を菊一文字が縦にざっくりと割る、その一瞬手前に「カッ」と真剣の交差する音。肩までの長さの髪を数本だけ巻き込んでいる真紅の唇が一瞬、笑みに変わるのが同時に見えてしまいました。

しまっっ…………「オコテ!オコテ!オコテオコテオコテェエエエエエィ!!!(お甲手、甲手撃ち)」…………ったああ!

血風が舞いました。一生の不覚。残念至極、これで全て終わりで御座います。右肘の内側に刺すような痛み。そして激しい痺れ。バタバタバタッとそれがしの腕より飛び散る血液が石床に散る音、相当量の血風が舞い、何とか斬られた直後左手に持ち替え身を低くして菊一文字を構えてはおりますが御稲荷様、座椅子にもそれがしの血が多くかかり一定の範囲を朱に染めてしまいました。ヂャスミン(茉莉花)の香り一色であった空間は一転して酸化鉄の錆臭い、つまりそれがしの血の匂いで混じりあってしまい何とも言えず重たい空気へと変化してしまったのです。勿論それがしの着衣は右半身が鮮血で真っ赤に染まっております。が、右手は繋がっておるようでした。これはもしかすると浅い。つまり終わりはしていない、しめた。

左手にて菊一文字を低く構えながら洋装美女から目を離さないよう視野の角には洋装背広の白髪紳士を外さぬように入れながら、少しずつ大鳥居とは逆側にそれがし身をずらし始めました。出血は止まる事なく激しく流れ続けております。タパパパパ…。床に木製の部分があるのでせうか、血の落ちる音が一瞬だけ変わりました。

その刹那、明るい緑色の着物姿の女性が右手に小さな銀製の試験管を三本携えて、洋装背広の男性の後ろ手からしゃなりしゃなりと現れました。彼女はそれがしを斬ったヂャスミン(茉莉花)の娘よりも少々歳上の、髪型は特徴のある前髪の片側が非常に長い、彼女もまた紛う事なき透き通るような色白の美女で御座いました。明るい緑色の和装着物は竹林をイメージしたものでしょうか、金の笹と白黒の熊猫が織り込んである何とも不思議な御伽噺のような柄で御座います。従いまして乱波(忍者)の類で間違いなさそうだと、それがし斬られた腕の痛みが全く無い不思議と重ねて考えておりました。ただこれで三人。この世ならぬ禍々しき気配はこの三人と等価のものであったようで御座います。

ヂャスミンの娘は構えたまま。それがしも低く構えたまま少しずつ左に。背広の白髪紳士は奥に立ったまま最初から動いておりませぬ。そして最後に現れました前髪の長い彼女は、それがしが斬られた最初の位置の血溜まりにかがみ込みまして、なんと手持ちの三本の試験管にそれがしの血液を丁寧に収集し始めました。着物の袖がそれがしの血液で汚れて行くのを気にする風もなく淡々と。その姿を見てからか、はたまた出血多量のせいからか、意識が少し途切れ気味になっている事に気付きました。斬られた右肘の内側からは今も止まる事なく血は流れ続けておるようで御座いました。それが世にも絶妙な物語の中の全てが必然の出来事であるとは、それがし知る由などこの時点では皆無でございました。

第五話に続く

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