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世にも絶妙な物語 第五話
2023年07月15日
さて、それがしの意識はかなり朦朧として参りました。
その朦朧とする意識の中、ヂャスミン(茉莉花)と鉄臭い血の匂いの入り交じる空間で辛うじて左手だけで構えながら何とか三人を視界に入れたまま立つのが現状としては限界で、勿論視界から誰か一人でも出てしまえば間違いなくそこから雪崩式の追撃が来るので御座います。利き腕を斬られたこの状況で三人相手は極めて厳しいと言う事は充分理解しておりましたが、それでもそれがしはこの場からの脱出の手立てをぼんやりと考えておりました。さて不可解なことに全身に痛みは微塵もありませんでした。出血の度合いからしても斬られました右肘の内側は相当に深い事は理解しておりました。
「はて、深いと痛みはここまで感じないものか」
人に斬られたのは凡そ数年振りで御座います。
前回は確か五貫目町境橋の西詰めにて何が理由かは確かに覚えてはおりませぬが、それがし抜けと言われて斬った記憶だけが御座います。その折は面を取る事に全てを行ってしまい、相打ち気味に胴が避け切れず入ってしまいました。たまたまその時に身につけておりました帷子のお陰様を以ちまして落命せずにすみましたが、何故か腹部が一直線上に三ヶ所飛び飛びで切れてしまい、果たして斬った相手の怨念か、はたまた必然なのでしょうか、抜けと言われて斬った相手に怨念も何もないだらうとは存じますが如何せん斬った相手はそれがしに斬られた勢いでその時期台風か何かの影響で橋のすぐ下までなみなみと増水していた境川にドボンと音を立てて転落したので御座います。厳密に言いますればそれがしの面が全力で入っておりましたので先に身体がドボン、少し遅れて残りがドボン、このような状況で御座いましたのに境橋の上にはなぜか相手の指が三、四本落ちていたのを今も覚えております。あれほどまでに増水しておりました境川の流れは速く、仏さまは恐らく翌朝には海まで流れでて何の供養もされぬまま鱶の餌かと存じます。いやいや、このような状況では御座いましても帝国武士たるもの、抜けと言ったからには相手に斬られるのも覚悟の上の事。その命のやり取りの結果には納得以外は存在せぬはずで御座います。況んや怨念をや。
あの時は台風の影響で増水していた蒸し暑い時期で御座いましたが、それでも帷子を内に着ていたと言う事は即ちそれがし登城の帰りであったはずで御座います。「朝四ツ上がりの昼八ツ下がり」と昔から申しますように登城は四つ時(10時頃)、帰りは八つ時(14~15時頃)で御座います。最近若者の間で流行っております「15時のおやつ(お八つ)」と言ふ一日三食の他に昼八ツ時にちょいとお寿司やお菓子など、と言う八つ時ならではの行動が「おやつ」として、ついぞ習慣化しつつある頃の出来事で御座いました。とにかくその後日、帷子の方には殆どと言って良いほど刀傷は確認できないと申しますのに、斬られた左腹部の小さな四分ほどの三点の傷口でかなりの期間非常に苦しんだ記憶が御座います。
「先生、採血が完了致しました。解析に入ります」
「ああ松崎、それではお願いします。池田は下がって良いです。ご苦労様でした」
「かしこまりました、先生。では」
会話が聞こえて来ますがもう既に全くそれがしの頭には入っておりませぬ。実は今、昔話を思い出している状況に無い事は理解出来てはおりますが、目を開けて構えておるのでは御座いますが朦朧とした意識の中、もはや何も見えなくなっておりました。されど会話の雰囲気と緊張感からしてこれは間違いなく相手にはそれがしにとどめを刺すつもりは無さそうだとの確信が安心を呼び覚ましたので御座いましょうか、ここで意識が遠のきました。
「ここは診療所、相手に殺意が無いならば倒れたとて誰かにすぐ発見されて、それがしは間違いなく助かる」
途切れる意識の最奥では、常に活発で好奇心旺盛な次男と、心優しく戸外と争いを好まない長男、ふんわりとそれにいつも寄り添う長女、つまり命よりも大切な三人と、いつも剣術の稽古をつけている諏訪大社の御神木と、二人の木刀のぶつかり合う音、好奇心旺盛な瞳と静かで優しい瞳、いつもひとよりも潤んでいる豊かな瞳、「父上」と抱擁を求めて飛び込んでくる三人に再びまみえる事が出来そうだとの期待大きく不覚にも涙あふれる世にも絶妙な物語の只中にてそれがしの意識は事切れてしまうので御座います。
「会津藩 什の掟」
年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
虚言を言ふことはなりませぬ
卑怯な振舞をしてはなりませぬ
弱い者をいじめてはなりませぬ
戸外で物を食べてはなりませぬ
戸外で夫人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬ事は、ならぬものです
第六話に続く