お知らせ
news
世にも絶妙な物語 第七話
2024年03月02日
奇妙な蟲を倒し、深夜の病室を出て、それがしは病棟の廊下に踊り出ました。左右に長く続く廊下の左手奥を見やりますればはるか遠くに明るい部屋が見えます。ここは果たして地上の何階なのかも皆目見当がつきませぬが左手の奥にLED式の灯りが薄ぼんやりと灯っておるのが見えていて、その奥に煌々と明かりが付いている入口が見えるのでございます。とにかく今はわからない事ばかりでございます。左右の廊下に一か所だけ窓枠が御座います。とりあえず外を見てみたい。しかしながら焦りは禁物。一度は走り抜けようと思いましたが自分自身、頭の整理が出来ておりませぬ。ここは抜き足、差し足、ゆっくりと行動しながら状況を整理していこうと考えました。
そもそもが今回、事の発端は、次男との口論がきっかけで診療所に行く事になったのが始まりでございます。診療所に行き、診療所で受付をして順番を待っておりましたらなぜか襲撃されたのでございます。そして斬られて昏倒した?いや、採血された?とにかく血液を検査されて即入院と言う運びになりました。(医療行為だったのか?)この辺からもはや奇妙な事ばかりがそれがしの身に起こり始めております。気を失っている間に長男が診療所に呼び出されて面談の後、入院の手続きがおそらく行われる。果たして襲撃されたのではなく採血されただけなのでありましょうか?それはそれといたしましても、入院初日の夜からさっそく病棟でとんでもない化け物に襲撃されたわけでございます。これはつまり家族の者も全員たばかられていると言う事なのでありましょうか?であるとすれば何が目的なのか?そして受付で襲撃され斬られた時、襲撃者の所属している組織は「年貢を適正に納めるよう指導する組織」。それは確かにその組織の徽章を付けておりましたしIDカードもこの目にて確認いたしましたのでまごうことなき事実で御座います。果たして一体、それがしは何に巻き込まれている?ここは本当に診療所の病棟なのでしょうか?それすらも定かではございませぬ。
夜に気配を沈めながら頭の中をさらに整理しようと試みました。しかしながらやはり全く理解が追い付きませぬ。困惑以外、何もございませぬ。わかっていることは、年貢に関わる部署の人間たちが今回の件に深くかかわっておるといふ事だけ。そして先ほど叩き斬った南総里見八犬伝のフナ虫のごとき怪物。一体全体わが身に何が起きておるのでしょうか。あの怪物の存在。先ほど駆けるのを止めて兎にも角にも左手の奥にある明かりの灯っている部屋まで向かう事としましたが、心境としましてはもう一間先まで来ておりまする右手の窓をたたき破って外に飛び出したい心境で御座います。ですが煌々と明かりの灯った奥の部屋、そして手前のぼんやりと明かりの灯ったLED。つまりはそこに誰かしら言葉の通じる者がいる。そう思えてなりませぬゆえ、そう思えればこそ強引に冷静さを保っております。そこからは確実に気配も感じられます。ゆえに走るのは控え足音を立てないように摺り足気味に進みます。
即ち之を地摺り八双の構えと申します。抜きまして下段に構えながら摺り足で進みます。徐々に明かりに近づいて行きます。前進速度は実に1分間で1尺程度。背後にも全神経を配っております。気配に連動して常に連撃を繰り出す準備でおります。
どのくらい時が流れたでしょうか?自身でもかなり息が整うほどの時間経過を緊張感をたもったまま得ることが出来ました。「緊張感は保ったまま」でございます。この時間こそが敵陣を切り抜けるためには最重要と経験上からもよくよく存じております。それがしの北辰一刀流が無敗を貫くことを可能にしたのもこの心得があったからだとこれは自負しております。窓はそこまで来ております。「外をみたい」この暗い廊下の即ち一番最初の窓に到達する直前のその思い。そう思ったのと同時に、五感のうちのひとつである嗅覚がすべてを瞬間で凍らせたのでございます。緊張感の中でそれがしの鼻腔に微かに舞い込んだ耽美な香り。
それは「JASMINE(茉莉花)」
即ち、それはそれがしを斬った乱波が用いておりました香料。しかしながら今、人の気配は皆無で御座います。一体どういう事なのか理解出来ぬままでは御座いますが地摺り八双のまま人の気配のあるあの明るい部屋と言うよりは直近の窓に目標を変更してそれがしはそのまま進みます。右手の窓から外を確認したい。ゆかし。ここは地上からどのくらいの高さなのか。ヂャスミンの甘美な香りは強くなりもせず事切れもせず今も漂っております。
ついにそれがしがその小さな辻の場所に差し掛かりし次の瞬間、不意に左手の漆黒の部屋、その入口の襖の先から大きな殺気。しかしながら非常にガサツで幼稚な殺気。かくの如きでそれがしを斬ろうとしているとしているのであれば、これはもう、命の無駄使いとしか言いようが御座いませぬ。武士道とは死ぬことと見つけたり。修羅道とは斬ることと見つけたり。この世界線で半生を過ごして参りましたそれがしから申しますと、かくの如きはまさに殺意のみ、おおよそ「道」とはかけ離れた次元の気配で御座います。ただただ今この瞬間、相手を殺めようとしているだけのガサツな殺気。おおよそ野党のそれは常々修羅道を征く覚悟も皆無。帯刀した己の行動をよくよく後悔するが良いとしか申し上げようが御座いませんでした。それがしは左手の殺気を無視してそのまま進みます。茉莉花の香は変わらず微かではありますが漂っております。
次の瞬間、襖が少し開きました。ガタン!と大きな音と共にさらに別の大きな殺気が突然現れます。「JASMINE(茉莉花)」このパターン!まずい
「うがっ。」短くて野太く低い男の驚きと苦悶の混じった声。「イアァァァァァ!オメェン!!!キェーーーィアァァァォーゥ!」耳をつんざく甲高い女性の居合い。(これは完全に入りました)身を翻してただならぬ殺気に対して八双下段から中段に構えを変えるそれがし。この3件、すべて同時で御座います。
たぱぱぱぱ・・・ドサリ。液体が床に叩きつけられる音、人体が倒れる音。一瞬で周囲は鉄臭い匂いで充満し、その斬り口から明らかに覗く白骨と鮮やかに流れる赤、そして黒く飛び出した内臓。池田殿、御見事。そして今ここでそれがしは必ず、あなたを斬ります。
世にも絶妙な物語に於ける血風の夜に、これからまさかの展開が待ち受けているとも知らずに、で御座います。
第八話に続く